« 桜野武術教室 本日の稽古内容 | メイン | Kトラフィーバー »

ひとつ、不自由になる

テレビや映画など、たまに音を完全に消して観る事がある。
セリフやBGMを聴きながら観る場合と比べて、役者の目の表情や動作が、やたらと目に付くようになる。
次の動作、話の進展がなぜか音を聞きながら観ているときよりもピンと頭に浮かんでくる(気がする)。
紳士を気取っているが、実は腹黒いヤツだとか、そういう人物設定が、なにげない諸動から何故だかよく伝わってくる(音を消してみると、役者の芝居が、じつは京劇並にくどくて押しつけがましいという隠された真実があぶり出されるという理由もあるでしょうが)。

じつはこの、音を捨てた感覚というのは、武術に役に立つのでは無いか、と密かに思っている。
言葉や雰囲気に頼る事なく、空気を感じとる・意思を感じとる・で、先入観が無くなったこちらの心に映る事柄に対して粛々と回答を返していく・・・うまく表現出来ませんが、こんな感じかな。

小手返しの練習をする。術者も受者も、つかんだ手、つかまれた手を、技をかける間中じーーーっと見つめている。大東流合気柔術に限らず、少林寺拳法や合気道でもよくある光景だ。
視覚という感覚に頼りすぎている。
この場合は視覚という感覚を捨てて(完全にoffにすると、またちょっと困る事になりますが)、握られた部分から伝わってくる力の動き、心の動きを皮膚を通して理解をしないと、技はかからない。
この人は僕の手をつかんで、引っぱり上げたいのか、ねじり上げたいのか、それとも押さえつけて、反対側の手でゴツンとやりたいのか、見ると予測を立てて考えてしまうから、見ずに、皮膚で感じる。
そうすることで、不思議と身体が自分から動き出す。

ぎこちなくならずに、スムーズに技が出るかどうかは、訓練次第。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.wildleaf.org/mt/mt-tb.cgi/316

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2010年10月03日 20:25に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「桜野武術教室 本日の稽古内容」です。

次の投稿は「Kトラフィーバー」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34