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M市市長選に思う

今日から4連休!
月末に仕事をしないなんて、あとが恐い気が少ししますが、せっかくです。楽しみましょう。

任期満了に伴い、私がお世話になっているM市の市長選が実施される。
しかし年明けすぐに自治体の合併が控えているため、任期は2ヶ月程度。それでも、選挙に変わりはない。

 この町は、良くも悪くも、昭和時代の体質を受け継いだ典型的な土建産業構造だ。
自治体が発注し、業者が請け負い、下請けを巧く使う事で金が回り、市民の生活が成り立っている。
大切な事は、それが良いか悪いかではなく、そういう構造の中で我々は生活をしているという現実だ。
何も産業を持たない、分かりやすく言えば、金を稼ぐ力のない弱小地方都市が、税負担を出来るだけ抑えて福祉を充実させ、暮らしを豊かにするには、今うまく機能しているこの産業構造を武器にしないといけない。
僕はこのM市で仕事をしている。だから、上記のような視点で市長選を見ている。

 「民」の字が付く政治団体が推薦しているS氏。
プロフィールを拝見すると、聡明で才気あふれる人物である事が見て取れる。加えて、芸術家肌だ。
ただ、生活や市政をデザインしたいというコメントは、意味が伝わらない。
 頭の中に描かれているビジョンは、おそらく素晴らしい物なのだろうけど、潤沢な資金と機能的な実動部隊(市役所をはじめとする公的な組織)が始めからきちんと備わっている事を前提としてはいないか。

 「共」の字が付く政治団体が推す、K氏。
市内に本拠地を置く特定企業を、紙媒体やネットを使い、特定可能な形で悪し様にする活動をされている。
ただ、調査が足りていないのか根拠が示されていないから、同調するにしても否定するにしても、感情に因るところが大きくならざるを得ない。

 問題は、市民同士に感情的に対立をさせようとする行為を行っている点だ。
この候補が当選しようが落選しようが、対立心は納得を伴う決着がつかない以上、市民の間に遺恨という形で遺る。
 市民同士を感情的にいがみ合わせるなど、為政者として到底許される行為ではない。
市長たる器を持ち合わせていない事を、すでに露呈してしまっている。気の毒としか言いようがない。

 さて現職だが、朴訥としたおとっつぁんといった感じで、気迫や迫力に欠けるキライはあるが、永きに渡る県庁での修行で身につけたテクニックを行政を対象に発揮しているようだ。
誰も広報する人がいないので市民はおそらくほとんど知らないが、億単位のコスト削減を実現している。
 この人は、M市の某高校OBで、この学校が珍しいくらいにOB間の連帯感が強く、しかも同世代の多くが企業・自治体問わず要職を担っていて、好意的に市政を支えているというバックボーンがある。
これは大きい。


 土建産業構造は、国土がある以上無くならない。ただ、物資が減り、エネルギー代が上昇する未来がすぐそこまで来ている。そういう時代に応じて、消費型から循環型に変換していかないといけないと思う。
産みの苦しみがすぐそこで待っている。ビルを建てたり、道を造ったりするマッチョな苦しみではない。脳みそにイヤという程新しい知識を詰め込んで、そこから一滴の新しい手法をひねり出す、神の苦しみだ。
乗り越えれるか?そういう未来を理解しているか?


オバマ氏の「チェンジ!」は、ユメを見せるためのおまじないではなく、産みの苦しみを伴いつつ現状からの脱却を示唆する、力強い宣言でした。
だからみんな、大の大人も共感出来たのです。

ついでにもうひとつ。
高齢者や子供等、弱者に配慮をした政策が実現されようとしている。それはそれで素晴らしい。
でも、ちょっと待ってね。経済を担っているのは誰だ。
彼らがもっと、自らの労働に付加価値を付けたくなるような政策は、いつ始まるのだ?

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2009年09月20日 09:10に投稿されたエントリーのページです。

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