学生の頃、言葉というものについて色々と考えていた時期がありました。
言葉について書かれた本を読みあさった訳ですが、一番心に残ったのが、丸谷才一と井上ひさしの『文章読本』です。
文章をテクニカルに読む、という事を教えられました。
文学作品を情緒に任せて読むのも面白いのですが(いや、そういう読み方が一番正しいかと思いますが)、作品世界を構成するため、いかに作者が読者を本の中に引き込もうかとするレトリック、そういう技術の部分に着目して作品を眺めると、また違った興味がわいてきて、作者の心の動きが伝わって来るような気がしてなかなか面白い。
言葉には、文字通りの意味もあれば、裏に隠された心の動き、その場の空気までいろんなものが含有されていて、発せられ、受け取られるものなんだなと思います。
日本語は奥ゆかしい、と言われるのも、文字面通りの意味よりも、そういう含有部分が大きいからではないのかな。
「おつかれさま」という優しい言葉がありますが、これももちろん疲れている人に対して、あなた疲れていますね、と指摘をするためだけに発せられる言葉ではありません。
その人の働きに対するねぎらいや、尽くした力に対しての感謝が、おそらく言葉通りの意味よりも遥かに大きく含まれているかと思います。
この心が伝わらない人は、「いいえ、疲れていません!」→「挨拶を『お元気様』に変えましょう」と、こうなる。
この奇麗な言葉の中に、血液中の乳酸の量を指摘する事しか感じ取れないなんて、さみしい生き方だ。
こういう心が通わない中で、どうやって”関わり”を育てようというのだろうか。・・・
それにしてもけったいな言葉だな、お元気さまだって。
元気な人に元気ですねと声をかけて、一体どうしようというのだろう。ああ、これにも言外の意味が含まれていて、さしずめ”シャカリキに働きな”ってところかな。
なんにせよ、センスを疑う。