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買ったもの:『増補 幕末百話』篠田鉱造

読んでいて、侍がキライになりました(笑。
本当に、簡単に人を殺すし、そこには崇高な理念、いわゆる武士道というものは、
微塵も感じられません。斬りたいから斬る、腹立ったから斬る、
で、斬ったらダッシュで逃げる。

例えば冒頭・第1話『江戸の佐竹の岡部さん』に出てくる岡部菊外という侍。
以下は本文をそのまま引用。

『何か話せとおっしゃるが、別にこれぞという逸話もないが、
ここに生涯に八十八人を切った男がある。ソレを一つ聴いてもらうかね。
 その男は、佐竹候の家来で百石取、岡部菊外という仁(じん)さ。
屋敷は神田佐久間町二の二十八、佐竹の中屋敷に住んでいたが、
剛胆と言おうか無茶と言おうか、人を斬るのが飯より好きで、新刀(あらみ)を
求めると七人を斬らねば本当の斬れ味が分からないと言っていた。
 で、柄巻き師へは、取っ替え引っ替え刀を持ち込む。
これは血糊で柄が腐ってしまうからだ。・・・』

話者はすべて、幕末を生き抜いてきた古老達。
 国史としての幕末〜明治の流れはきちんとした記録があり、研究者がいて、学問として後世に伝えられている。
しかし、その辺のおっちゃんおばちゃん達が体験し、
あんときはこげんやったとよ、と語ってくれる市民レベルの歴史物語は、
そうそうお目にかかるものではなく、体験者の寿命とともに、この世から抹消してしまう。
それを惜しいと思った篠田が、名も無き人達から時間をかけて収集した、
非常に貴重な話集がこの本です。

 この、岡部氏の人斬り話はまだ続き、顔に泥を塗ってくれた風呂屋に
一泡吹かせるために一計謀った話で〆となります。
もちろん人斬りの岡部氏、ただの方法ではありません。
刑死した罪人の死体から手首を切り取り、湯船に放り込むという事をやってのけ、湯屋を寂れさせています。まさに剛毅というか、無茶というか。・・・

 次は、逆に辻斬りに遭った町人の思い出話。

『三人の侍は、バラバラと私を取り巻いて、(略)もうこの時は一人の侍、
私の襟首を捉え、一人は手を押さえているんです。
ヤッ試斬だなと思った時のヒヤッとした心持ち、胸はドキドキッと動機の早鐘、
速くなって震え上がっちゃったんです。』
結局、このご仁はタイミングよく逃げ仰せる事が出来たのですが、
辻斬りにやられた側の話なんて、そうそう聴けるものではありません。
命拾いを皆に祝ってもらって、赤飯を炊かれたなんていかにも庶民じゃないですか。

 他にも、正月三ヶ日の深夜帰宅していると、雷門の辺りに5人ほど
身を寄せ合っているのがいて、こちらに手招きをしている。
近寄って訳を聞いてみると、少し離れたところで侍同士斬り合いをしていて、
とばっちりを避けるために見知らぬ同士だが身を固めているという話。
「あそこで闘(や)っていますよ」。
耳を澄ませば、成る程刀の触れ合うチャンチャンという音が聞こえてくる。・・・

 暗い話ばかりではなく、お殿様の寝室の作りが、いかに豪奢であったかとか、
目隠し鬼をする新米の小姓が、目隠しをはずすとお殿様が茶目っ気たっぷりに
ワッと顔を近づけていて、仰天しまくった話、
お茶壺道中のお茶壺は、羽二重で包んで綿入れの袱紗(ふくさ)で
くるんでいるから、放り出したって壊れっこありませんというトリビアなど、
自分から5、6代前の人達がどんな世界で、どんな事を感じ、考えながら
暮らしていたのかが分かります。
 教科書には載っていない、というよりも、おじいちゃん、おばあちゃんからしか
伝わらない昔語りという雰囲気の、味わい深い小話集です。

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どうせなら・・・という方は、以下も合わせて買ってみても良いかも。

明治百話(上)(下)。私は上下巻とも持っています。
基本的に幕末百話と同じ作り方で、ただし話の対象が明治時代になっています。
人気のあった出張天婦羅屋の話とか、大久保利通の奥方の髪結いをしていたという女性の話など、こちらのほうがバラエティに富んでいて、飽きがこないかも知れません。

『浅草の東京亭の金田の親爺さん、デップリと太った通人肌で、
(略)東京亭を竹本大和太夫に譲ってしまい、自分は「扇夫(せんぷ)」と名乗って、
この人発明の「出揚げ(であげ)」というものを始めたものです。
 どこのお宅へでも呼ばれて、天ぷらを座敷で揚げる工夫をしたもので、
マアお座敷天婦羅の元祖でしょう。その工夫が巧妙に出来ていました。
 まず箱を二つ用意し、一の箱には揚げる野台が納め込んであって、
今ひとつの二の箱には、材料から水から粉から、油鶏卵といったように、
五人前の注文があると、チャンと五人前、少しも滞りなく、
物屑一つ残さないように、万事万端お座敷で始末をつけたもので、これが大評判でした。
 〜鶏卵を割り、天ぷらには白粉を使い、五人分を揚げた上、
ソノ残り油で茄子なんかあげて出します。
最後の鍋の油を掃除するときに、前に残しておいた、鶏卵の黄身を、
玉子焼きにして五人様のところへ差し出し、
「ヘイこれでお仕舞でございます」といった手柄は、思わず知らず
主客にヤンヤを叫ばれました。
 〜あの道具がさ、どうなったものか、今日になってもチョット粋なものですが、
そうそうあの時の配り手拭が、洒落ていました。
玄魚の案で、魚屋の平鍵を一本横に描いて、焼印にソノ「扇夫」と捺したところが、
全く意気なもんでした。』
・・・本当に粋だなあ。これが明治の通人か。

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2008年11月09日 12:09に投稿されたエントリーのページです。

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