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トムとジェリーが好きだ!

 第2次大戦直後くらいに制作されたのだから、もう60年以上前の作品のはずだ。
まさかトムとジェリーを知らない人はいないと思う。
 この漫画の一番の見せ場は、やはり追いつめられたジェリーがトムにやり返すシーンだと思う。
とにかく徹底している。暴力がリアルなのだ。
グーでバチーン!と殴る、
ハンマーで足の甲、頭をぶっ叩く、
あげくはダイナマイトで爆破する、
なにげない日常の生活用品も、彼らにかかれば奇抜なアイディアで恐るべき凶器として活用される。

 現在制作されているカートゥーンにも、同様のドタバタ漫画は多くある。
しかし、それらの作品に無くて、トムとジェリーにあるもの・・・それは爽快感。
この爽快感の裏付けは何なんだろう。

 ひとつは、おそらくこれが一番の理由だと思うのだが、
ケンカの実力で言えばトムが圧倒的に強い、ということ。
番組冒頭で、トムがもう余裕しゃくしゃくでジェリーを追い回し、
ときにはペットのようにこき使う。
もう笑っちゃうくらいの暴君ぶり。ヒドイ。
ここが徹底しておかないと、ジェリーの報復は生きてこない。
 トムとジェリーは、この役割が徹底されていた。
だから視聴者は(お約束とはいえ)、トムの裏をかいて報復を果たすジェリーにハッとするのであり、
そのあんまりな逆転ぶりに、勧善懲悪にも似た安心感を憶える。やはり、こうこなくちゃ!

 現在も、たくさんの「弱者が強者をひっくり返すパターン」の作品はある。
だが、残念ながらどれもピンとこない。カタルシスがないのだ。
弱そうなヤツが強そうなヤツを叩きのめすのが面白いんじゃない。
まして、暴力シーンそのものが良いのでもない。
弱い者が、強い者を叩きのめすのが面白いのだ。
そしてそれは、小鳥=弱い、猫=強いという、
記号や世の中の決まり事に頼った設定ではなく、
作品の中で、うわ、こいつかわいそう、とか、こいつ強いな、いじめっ子だな、と
きちんと演技させて、視聴者の心に刷り込みをしないといけない。
視聴者は頭の中の理屈で生きているのではない、画面からの情報で生きてるんだ。
だから演出という手法が存在する。
 攻撃してくる猫が、自らの失敗で壁に激突したり、塀から落っこちたりして自滅していく様を、
当の主役である小鳥は鳥かごの中で
「悪い猫タン」
と舌足らずに喋りながら眺めているだけ。
 にっちもさっちもいかなくなったら、
どこからともなく飼い主や仲間のブルが駆けつけて来て、問答無用の一撃を猫に食らわして
丸く収まってしまう、ワーナーBros.のアレですが、
この作品には役割演出が存在しない。
小鳥=弱者、猫=強者、悪いヤツという記号を
どこかから借りてきて、その上に作品を構成しているだけ。

 こういう作品に、いじめられたヤツが最後に放つどんでん返しの快感は皆無だ。
この作品の肝は、自滅する猫タンの間抜けっぷりをみんなで笑いましょうというところにしかない。
 だから、この作品で笑えるヤツはある意味危険だと思う。

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2007年03月10日 10:19に投稿されたエントリーのページです。

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