受験なんて、難しく考える必要はない。
学校で習った事しか出ないんだから、リラックスして欲しい。
問題は、だ。
試験というものの素性をよく理解しておかないといけない。
おおむね日本の試験というものは、見た事もない問題をいかに手際よく解けるか、ではなく、限られた時間内でどれだけたくさんの問題を解けるかを問われる。
だから試験勉強は、難しい問題を頑張って解きました、理解しています!オッケー!ではなくて、10分で5問解けたのなら、次は同じ時間で7問解けるようになる、そういう部分を鍛えないといけない。
難しい問題を解く事が出来て、そこで終わってしまっている受験生、いませんか?
そこからがスタートですよ。
標準問題精講を理解しただけでは駄目。ドリル形式で繰り返さないと、受験はパスできない。
で、問題を解くにはこの公式とこの公式が必要かな、と、ピンとくるひらめきが必要だ。一流学校の問題は、やたらとひねくれていて、一見しただけではすぐにピンと来ない問題が多い。
それでもピンとくるために、受験勉強という訓練を積む。数をこなし、経験を重ねて、ひらめきにかかる時間を短くするわけだ。
今の時期にこんなこと書いても遅いけどね。
そうやって頑張って、何故僕らは少しでも偏差値の高い学校に入ろうとしているのだろう。
いい学校→大企業→生活安定・お金に不自由しない(かな?)という事だろうか。
それもアリかも知れないが、項目2番目の「大企業」は、ほんとに一握りの人間が入れるものだし、3番目の生活安定は、さらにその中の一握りだ。ほとんどが中小企業に入社し、減棒・ボーナスカットを心配しつつ、ゼロが6つも7つもつくような借金を背負って生活をしている。
偏狭な社会人研修に送り込まれて、人格まで改変されてしまう人だって少なくない。
「一流」とは、何だろう。どうしてアレが「一流」と呼ばれているのだろう。僕の人生で、それは必要なのか。
思い悩む事はない。フラットな視線で世間を眺めれば、この世の中、以外と脆い砂の上に構築されているな、と気がついて、気持ちが楽になるかも知れない。真実は単純だ。そして、だから、言葉の多いヤツに気をつけろ。