2003年3月11日、僕らは新婚旅行でイタリアを訪れました。
様々な楽しかった事、辛かった事、初めて体験した事すべてを含めて、ここに旅行記として保存したいと思います。
イントロ:旅立ちの朝
出発当日は、羽田空港に集合との事だったので、僕らは早起きをして東京に旅立ちました。
出無精な僕にとっては、もうこれだけで立派な旅行なんですが、もちろん目的地はイタリア。東京に着いてから、それからが本当の出発なんです。
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 なにぶん、朝六時半までに福岡空港にいかなければ!という事で、その日は四時に起床。お風呂に入り、精進潔白。サムライ西へ行く、だ。その後旅行道具の最終チェックと、帰宅時の事を考え簡単な掃除をする。

 五時半になると、前日に予約していたタクシーが迎えに来たので嫁さんと乗り込む。こんなに早起きしたのは、一体いつ以来だろう。まだ朝日の片鱗も見えず、真っ暗だ。
なにかのリミットタイムになると必ず発動する「しまった!」「忘れた!」「思い出した!」「あ!」といういつもの”嫁アラーム”を軽く聞き流しながら、近くの地下鉄まで走ってもらった。
そのまま空港まで行かずに、大道具を抱えてわざわざ地下鉄を使うのは嫁さんの提案なんだが、カエル並みのド根性である。嫁がシャツに貼り付いていなくて良かったよ梅さん。

 福岡からいったん、羽田に向かう。
旅行会社が集合場所に指定したのは、東京・羽田空港国際線ターミナル。おいルフトハンザだよ。外車だ。
添乗員さんから一通りの説明を受ける。まだお若い女性で、とてもしっかりされた方だった。そんな彼女が嫁に向かって開口一番、「ずーっと携帯に出なかったでしょ!」やーい、いきなり怒られてやんの。ちょっと受けた。

 11時半に諸々のチェックを済まし、昼すぎ、機内に乗り込む。もちろん、スッチーは金髪さんだ。もし無人島に不時着して、このスッチとふたりっきりになったらどうしようかと軽く心配してみたりする。

 さて、我々はまずこれでミュンヘン(ドイツ)まで行き、乗り継いでイタリアに入国する。飛行機で通過するだけだが、事実上中国、ロシア、ドイツ、オーストリアそしてイタリアの五ケ国に入国するわけで、なんとなく自分の経験値が上がった気がした。

 国際線はフリードリンク(飲み放題)ということを知っていたので、ここはやっぱりドイツビールだろうと思い、わくわくしながらフライトを待った。これでスーパードライなんか出しやがったら抗議の意味を込めてずーっとオレンジジュースを飲んじゃうぞーと思っていたが、きちんとドイツのビールが出て来てひと安心。

 ミュンヘンまでのフライト時間はおおよそ十二時間半。日本から西に向かって飛ぶ。ということは、西日を追いかけて行くわけで、いつまでも陽が沈まない。腕時計で確認すると、日本では零時を大きく回る深夜の時間帯なのに陽が沈まないのだ。

 ロシア上空か。凍土なのか雪なのか、地面一面が薄く青みがついたグレーで、面白くも何ともない。
やがてしばらく飛んでいると、次第に雪が切れ、黒っぽい地面がのぞき、森が広がり出す。それが少しづつ畑に変わり、うねった川沿いにちらほらと民家が見えて来た。屋根が全て鮮やかなオレンジ色なのは、素焼き瓦だからなのかな。
どうやら、ここはドイツだ。

 

 

 

 

 ミュンヘン空港に降りる。
どっかの外車のショールームみたいな、総ガラス張りの小さな空港だ。ガラス以外の部分は白く塗られた壁で、柱は鉄筋がむき出しになっている。
階段まで白くペイントされていて、いかにもドイツらしく”味も素っ気もない”と言ったら彼の国の人達に怒られるかな。

 空港のスタンドバーで、生ビールを一杯飲む(腹一杯、じゃなくてa glass ofね)。本場のビールは麦臭かったよ。
比べてみてはっきり分かった。キ○ンラガーはやっぱり米汁だ。

 二時間弱の待ちの後、ふたたびルフトハンザに乗り込む。
現地時間9時半にローマに着いた。日本との時差は八時間。ということは、日本は夕方5時半か。
時差ボケで観光出来ないのはしゃくなので、ホテル到着後、風呂も入らずにすぐに寝る(ホテルの給湯設備が貧弱で、人数分のお湯が一度に出ないという理由もあったが)。
さすがに朝三時くらいには目が覚めてしまい、もう眠れない。そこで添乗員さんに教わった通り、そのまま布団の中で夜が明けるまでぼんやりと過ごす。できるだけ、時差に体を慣らすためだ。
他のツアー客が起き出す前くらいの時間を見計らってシャワーを浴び、お湯をゲット。美しさが3上がった。

 日本にいる時からすでに体内時計の調子が悪いうちの嫁さんは、朝日が出るまですやすや眠っていた。こういうとき、深夜族はうらやましい(こういうときだけですけど)。
さて、ローマ観光だ!

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